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  • 2021.05.06

「1%の共感する人たちに向けて」効率より品質にこだわる、ある起業家の信念 | 株式会社エーオーアイ・ジャパン/株式会社アンビエンテック

大量生産、大量消費。
「修理するより安いから」という言葉を免罪符に、消費者は短期間で物を使い、捨て続ける。メーカーも同様に短期間で廃棄されることを前提に次々と新製品を生み出す。高度経済成長期から日本ではこうしたサイクルが繰り返されてきた。しかし昨今、世界的にSDGsという言葉が注目されはじめ、よりサステナブルに事業を存続させようという価値観が広まりつつある。

株式会社エーオーアイ・ジャパン/株式会社アンビエンテックの代表、久野義憲もそんな持続可能な事業の実現を目指す経営者の一人だ。久野たちは、デザイン、品質、耐久性とすべてにこだわった水中ライトやコードレス照明を小ロットで生産し、修理まで責任を負う。「ビジネスとして、こんな効率が悪い仕事はないですよ」。分かっていても、姿勢は変わらない。自分が使いたい物を作りたいから、そして、世の中の1%でも共感してくれる人々が必ずいると信じているからである。久野の信念、行動を支えている源泉は何なのか、話を聞いた。


【プロフィール】
久野義憲
株式会社エーオーアイ・ジャパン/株式会社アンビエンテック 代表取締役。大学卒業後、株式会社プラザクリエイトへ入社。退職後の1999年に株式会社エーオーアイ・ジャパンを設立し、キャラクター雑貨の輸入事業などを手掛けるようになる。以降、大手カメラメーカー向けの撮影機材のOEM事業にシフトし、2009年には株式会社アンビエンテックを設立。2013年からコードレス照明ブランドとしてリリースを始めた。

音楽業界にいくつもりが、ベンチャーに。価値観が変わる経験を重ねた20代


本当は音楽業界に行きたくて、就活では東京のレコード会社などを受けていました。そこで、音楽仲間が企業説明会を受けに行きたいからと、付き添いで行ったのが写真のプリントショップをフランチャイズ展開するプラザクリエイト。1990年代初頭の当時はベンチャーブームで、若い創業者がIPOをして注目を集めていた時代。説明を聞いて、「ベンチャー企業っておもしろそうだな」と思い入社しました。
 
プラザクリエイトでは3年ほど香港で過ごし、中国の工場に何度も足を運ぶことに。様々な経験を重ねるうちに、モノづくりにも興味が湧くようになりました。だからと言って、すぐに製造業で起業しようとは思いませんでした。
 
当時はまだ日本にインターネットがなくて、パソコン通信と呼んでいました。ただ、海外にはインターネットという言葉があり、香港に僕がいた90年代の中頃は、ネットをやりたくて香港に来る日本人がけっこういたんですね。香港は狭い分、新技術の浸透が早いですから。すでに、みんなブラウザを使ったインターネット検索、e-mailをしていて、まさにこれから世の中が変わるんだろうなと感じていました。
 
ネットで行くのか、地道にリアルな製品で行くのか。20代で自分は将来どっちの世界に進んだらいいのか、真剣に考えるようになりました。しかし、その当時に香港へ来ていた日本人は優秀な人が多かった。「デジタルの世界は天才がいっぱいるので、絶対にかなわない」と思いました。それに、自分はなんとなくコツコツやる方が向いている気がしたので、やっぱりモノづくりだなと感じたんです。
 
その頃、会社が上場して、アメリカのカメラメーカーを買収していた時期がありました。もともとは写真プリントのFC本部だったのが、モノづくりをする機会ができたんです。そのプロジェクトに配属され、3年くらい携わったのですが、最終的に事業化には至りませんでした。結局メーカーとしての事業は継続しないという方向になったので、29歳で会社を辞めました。

「自分にしかできないこと」を求め、カメラ機材へ進出


会社を辞めてエーオーアイ・ジャパンを立ち上げた当時、ビジョンなんてありませんでした。「20代だし、ダメだったらまたやり直せば良いか」くらいに思ってましたから。それこそ、「 今まで休みなしで働いていたから、好きな音楽もまたできるようになるし」くらいの気持ちでした(笑)。
 
起業して最初に始めたのは、商社のような仕事です。アジア系外資メーカーのネットワークは持っていたので、現地でフィルムカメラをスケルトン調などにして企業のノベルティにしたり、キャラクター雑貨をカスタムして販売したりしていました。ちょうど日本にもネットが普及したので、一人で企画から営業、輸入、販売まで手がけていました。名だたる企業とも取引はしていたのですが、カメラの外観や雑貨をカスタマイズするくらいなので、すぐに他からマネされてしまうんです。値段もどんどん下げられてしまい、もう一回カメラ周辺で自分にしかできないことを考えるようになりました。
 
そこで思いついたのが、デジカメを水中で使うためのケースの製造。理由は僕が付き合っていた工場がもともとフィルムカメラのメーカーで、デジタルカメラの製造にシフトできずリソースを持て余していたから。そんなときに、水中でダイバーが撮影する際にケースを使っているのが分かって。「これなら彼らの工場設備でも製造できる」と思い、やってみようと思ったんですよね。
 
しかし、いざやってみると、全く上手く行かなかった。それまで海に潜ったことがなく、ダイバーの気持ちがわかっていなかったので、当然なのですが……。そこから海について調べ、失敗した製品を改良したところ、大手メーカーの目にとまり「うちの防水プロテクタをつくってくれませんか」と声がかかりました。それが当社でOEMをはじめるきっかけです。
 
3年後、OEMの実績から他の大手メーカーから声がかかり、「海で検証して製品をつくりましょう」という話になり、35歳で初めてダイビングのライセンスをとることに。それから、すっかり海に魅力されてしまい。仕事でダイビングに関わる事への執着も芽生えました。

複数の失敗経て、LEDと出会う


エーオーアイ・ジャパンの事業は、ほぼ大手カメラメーカーからの仕事ですよね。デジカメの成長と共にうまくビジネスが進んでいたんですけど、携帯電話やスマホが出てきて、手軽に写真が撮れるようになってしまったので、「恐らくこの先はもうないだろうな」という危機感が芽生えました。自社ブランドを立ち上げても、水中撮影機材はすごく狭い領域なので、市場でメーカーのお客様向けにつくっている商品とバッティングしてしまいます。そこで、自分たちの経験が活かせる、バッティングしない商品をつくりたいと考えるようになりました。
 
当時はデザイン家電がブームでした。自分もデザインは好きだったのですが、ただ単に外装だけかっこいいという商品では二番手、三番手になってしまいます。なにか世の中の大きなテーマ、その課題解決になる要素を盛り込めないかと考え、環境デザイン家電のようなコンセプトを思い立ちました。
 
2009年にアンビエンテックを設立し、最初に出したのが室内の環境汚染を可視化するためのCO2モニター。今でこそコロナ禍で密が問題視されて、飲食店などにも導入されていますが、当時はどうやって販売して良いのか分からなくて全然売れませんでした。現在では、当社のオフィスの各部屋に置いているんですけどね。
 
次は、携帯電話を太陽光電池で充電するソーラーチャージャー。これは値段が高いうえ、ちょうどスマホが普及するタイミングで、スマホのバッテリーの容量を充電するのには何日もかかる。自分が使いもしない物を売れるわけありませんから、フェードアウトしてしまいました。
 
ただ、太陽光電池はあきらめられませんでした。コストがかかるので自社で作るのではなく、海外のモバイルバッテリーとソーラーチャージャーメーカーの代理店になろうと検討し、サンプルを取り寄せて実験していた2011年、震災が起きたんです。
 
まだ販売代理店としての活動は始めていなかったのですが、手元にあったサンプルをNPOに使ってもらったら、「現地で役に立った」と口コミで一気に広がり、急遽輸入して販売することになりました。
 
震災後の半年くらいはビジネスがすごく伸びたんですけど、そのあとはパタッと止まってしまいました。要するに人々の関心がなくなったんです。太陽電池は屋根の上に乗せると売電できますが、エコやサスティナビリティのためだけに身銭を切るという時代ではまだなかったんだと思います。
 
そして次のテーマがLEDです。ちょうどエーオーアイ・ジャパンで水中ライトの開発もしていたので、「日常の生活に応用できないか?」と考えるようになりました。照明に取り組むことになり、ミラノサローネ(イタリアのミラノで開催される世界最大級の家具やインダストリアルデザイン、テキスタイルデザインの見本市)に初めて行きました。そこで、僕がこれからやっていくこと、方向性が見えたんです。震災とミラノを訪れたことが、今のアンビエンテの形につながっています。

日本で感じた違和感。理想の答えは、ミラノにあった


2000年から2010年くらいまで、携帯電話やデジタルカメラは半年に一度くらいマイナーチェンジして、ものすごい数の商品が発表されていました。そういう中で仕事をしていたので、消耗戦なんですよね。リリースしたときには、次の商品の開発が半分くらい進んでいるようなペースで、開発者もみんな疲れてしまっていた。
 
新商品も2ヵ月後には量販店でたたき売りされているみたいな感覚。小売店主導で業界が回っていたので、価格競争されて値段が落ちてしまい、それを戻すために必要のないマイナーチェンジを繰り返していたという……。ものすごく不自然に感じていたし、自分がモノづくりをするときは、そういうサイクルではなくて、あくまでも長く使ってもらえる物をつくりたいとずっと思っていました。
 
その答えがミラノに行ったときに出たんです。純粋にその商品にどんな価値があるのか、美しいのか美しくないのか、自分にとって必要なのか、そうではないのか、長く使えるかどうか――子どもからおじいさん、おばあさんに至るまで、みんながそういう感覚で物を見ているんです。まさにそんな彼らに受け入れられる物をつくれないかと考えました。
 
照明も何百ものメーカーがあって、日本で見たことのないような製品がたくさんありました。そこで一人ひとりが自分に合った照明器具、家具を選んで生活している姿が、すごく幸せそうに見えて。「日本は経済的に豊かなのに、幸福度が低い」と言われる理由がわかった気がしたんです。
 
あとは、カメラにとっての電源は電池なんです。電球からLEDに変わったときに一般の照明メーカーは、電球型のLEDを作りました。それで電気代は10分の1に安くなりますよというのが、今に続く売り方ですよね。でも、今までエネルギー不足により電池で動かせなかったけど、いよいよ電池で本格的な照明ができると考えました。これまでの電球だったら10分しかもたなかった商品が、100分持つようになるわけですよね。日常の照明をコードレス化する技術を実現できると。自分が欲しくて、世の中の役に立ち、技術的な背景もある商品というすべてが結びついたタイミングでした。

必ず存在する1%の人たちに向けて、コストは惜しまない


現在の大半のモノづくりは、生活雑貨、家具、家電まで大量生産、大量消費型です。見た目は洗練されているかもしれないですけど、ようは金型を作って、そこにプラスチックの樹脂を溶かし入れて、大量につくる手法ですよね。世の中のトレンドを否定するつもりはありませんが、アンビエンテックの場合はまずプラスチックを最小限に抑えます。型を使わず、削り出し磨いて、一つひとつをつくる手法です。
 
ただ、それがメーカーのエゴではダメなんですよね。なんらかの価値に変わらないといけない。たとえば、ガラスだったら気泡も異物もなにも入っていないとにかく美しい物、金属の削り出しだったら持った感触の違いや重みなんかが求められる訳です。それらを求める人は1%もいないかもしれないけど、必ず世の中にはいるんですよ。自分がそうだから言い切れます。これだけ社会に商品が溢れているのに、心から欲しいと思える物は非常に少ない。年間数千個しかつくれなくても、どこかに必ず存在する私たちの製品を必要としてくれる数少ない人たちがいるからこそ、当社は企業として存続できています。
 
また、「部品を減らしましょう」「高い部品をなくしましょう」という発想がモノづくりへの考え方としては一般的です。ただ、アンビエンテックでは修理をするために、商品のすべての部品を取り外せるようにしています。すると部品の点数が増えて、効率的なモノづくりの観点から外れるんですよね。
 
当然、コストも上がるし、設計も部品も一つひとつ精密にならざるを得ない。でも、どんなトラブルがあっても対応するのが我々のスタンス。アンビエンテックの商品を選んでくれたお客様の志向は、長年使ってきた物を修理に出し、また使えるようにしたいはずです。今は「買った方が安い、もう直せません」という商品が多いですが、当社はあえてそこにコストをかけています。

原動力は純粋な創造欲求。日本発の技術を世界に伝えたい


とはいえ、こだわりの追求と経営とのバランスは難しい。販売価格を考えると、まだ中国などの海外で製造する必要がありますし、そのコストでさえ年々上がっています。アンビエンテックの原価率はすごく高いんですよ。
 
それでも会社の規模を大きくせず、限られた固定費にすることでなんとか回せていて。あくまでもお客様のためにコストをかけるようにしています。というのも、僕の根底には「つくりたい」という欲求があって。利益も大事ですけど、成功しているアーティストのような感覚を大事にしたいんです。
 
ここまで色々ありましたが、2021年4月1日からはロゴを一新しました。もともと照明を扱っていなかった頃からのロゴだったので、照明で勝負していくんだという決意の表れですね。今後はコードレス照明のブランドとして、世界中にファンが生まれるようしていきたいです。
 
日本のインテリア照明ブランドは、海外ではまったく認知されていません。国際展示会にも一社も出ていないんですね。アンビエンテックは、今年初めて日本を代表する形でミラノサローネ(4月の開催予定が9月に延期)に出て、世界展開を進めていきます。同時に、コードレス照明という新しい灯りの価値の提供、持った瞬間から長く大事に使いたいと思える品質、故障したら直すというメーカーとしての責任、独自の技術はこれからも守り、伝え続けていきたいです。

 

文:石原 遼一、撮影:岡田 晃奈、取材・編集:田尻 亨太

社名 株式会社エーオーアイ・ジャパン
株式会社アンビエンテック
代表者 代表取締役 久野 義憲
本店所在地 〒221-0056 神奈川県横浜市神奈川区金港町2-1 パークタワー横濱ポートサイド2F
事業内容 ◆株式会社エーオーアイ・ジャパン/1.オリジナルブランド:RGBlue/アールジーブルー製品の開発、製造および販売。2.水中撮影機材、医療用ライト等のOEM供給。

◆株式会社アンビエンテック/照明器具の企画・製造・販売。
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