【拝啓、28歳の自分へ】35歳になっても、相変わらず未来は見えないまま。だけど、なんとかなっています。
やりたいようにやろうと決めた
28歳のときは、二度目のフリーランス生活を始めたばかりだった。紆余曲折を経て、ライターになるのを決めたのは大学6年生、24歳の頃。もともとは某総合商社に内定をもらい、安定のサラリーマンライフを送ろうと考えていたけど、すべてがおじゃんになった。同級生は団塊の世代が抜けるということで、売り手市場だったから、超有名企業ばかりに行っている(なお、内定期間中にリーマンショックが発生し、状況は激変)。レールから落っこちた僕は、「もういいや、だったらやりたいようにしよう」と思った。
新卒のときは、あえて“書く仕事”はまったく応募しなかった。だって、好きなこと、そして大っぴらには言えないけど、自分の中にほんのり自信のあることを否定されるのは、すごく怖いからね。漫画の「ソラニン(浅野いにお:小学館)」で、恋人の芽衣子にキツイ言葉をかけられたバンドマンの種田の気持ちに近いだろうか。
・芽衣子:種田は誰かに批判されるのが怖いんだ!! 大好きな大好きな音楽でさ!!でも、褒められても、けなされても、評価されてはじめて価値が出るんじゃん!?それで、ホントだめだと思ったら…その時はその時だけど…
・種田:その時、どうしてくれるの?一緒に死んでくれるの?
別に死ぬわけじゃないけど、できれば傷つきたくはない。40歳過ぎで、それなりにサラリーマンしながら、「ライターとか良いと思った時期もあったな~」くらいに振り返るのが、なんとなくかっこいいと想像していた。でも、自分が招いたとはいえ、想定外の事態があって、28歳のときも、35歳になった今も、ライターを続けている。7年後からは「とりあえず、“まだ”なんとかなっているよ」と報告しておく。
毎日不安だけど、なんとかなる
一社目を辞めてフリーになり、また会社員になって、それも辞めてフリーに舞い戻る。先の見通しがあって退職したわけじゃない。28歳当時の僕は「これからどうなるんだろう」と不安でいっぱいだっただろう。「ずっと社会に適合できないんじゃないか」と自虐的な感情もあった。目標としていて、幸運にも叶ったサッカー専門紙の仕事はすごく楽しかったけど、業界のお金のなさや村社会的な閉塞感には悲しい気持ちになったし、他の仕事にしても、いつまで依頼をもらえるのか怯えていた。
でも、どこかに「どうにかなるだろう」という気持ちもあって、結局35歳になった今もどうにかなっている。30歳を過ぎてまたサラリーマンになって、過去最高の勤続年数を越え、一応課長にもなったのに、コロナ禍で会社が事実上解散。路頭に迷った。それで僕は、去年から三度目のフリーになっている。収入は7年前より増えたし、来年には税金対策で会社にしないとってことまで考えるようになった。ただ、明日は、1ヵ月後は、1年後はどうなっているかわからない。仕事がまったくなくなるかもしれないし、「明日は今日より良い日になる」なんて無邪気に信じられるはずがない。
お気の毒ではあるが、10年以上ライターをしていて、なんて進歩がないのだろうと嘆いておくれ。むしろ未来から言わせてもらえば、過去がどうしようもなかったから、今もどうしようもないのである。この道を選んだ以上、確かな未来を自分が望んではいけないことは、大学を卒業した頃から分かっていたはずだ。大体、不安がなくなったら、僕の性格的になにもしなくなるのが目に見えている。働いているのも、原稿の締め切りを(割と)守るのも、「多少は成長しないとやばいかな」と思うのも、心に不安があるからだ。「どうなるんだろう」という不安、「なんとかなるはず」という楽観は、生きていく限り同居するのだろう(明日にはどうしようもなくなっているかも)。それが嫌なら、最初からこんな道を選ぶな、である。その覚悟はずっと持ち続けていたと信じたい。
ここで未来から悲しいお知らせを一つ。真に遺憾ながら、35歳の今も独身である。予定もまったくない。親族と仕事関係者を除く女性と最後にどんな会話をしたのだろう。思い出せるのは、セブンイレブンの店員さん(Mさん※かわいい)との「袋はいりますか?」、「お願いします」という心温まるやり取りくらいだ。28歳のあなたには、「40歳までお互いに独身だったら結婚しよう」と約束したAちゃんが心の支えになっているはずだが、間もなく結婚の報告が来るはずだ。とてもキレイだけど、社会不適合者の彼女は、なんだかんだ結婚できないという、そっちの「なんとかなる」は見事に裏切られるから気を付けろ。世の中捨てたもんである。28歳の僕は「離婚の可能性がある」と未練たらたらで、35歳になっても未練たらたらだ。なお、彼女の幸せな様子は、時々LINEとFacebookで伝わってくる。
未来のために、現在を犠牲にする必要はない
「できるうちに貯金しろ」、「景気が悪くなったときのために、取引先や分野の幅を広げておけ」。そんなアドバイスをしてくれる人は、たくさんいるだろうし、今も変わっていない。多分、少なからず僕のためを思ってくれているので感謝はしておきなさない。でも、なんとなく気分が乗らなければ、別に将来のためにしたくないことをする必要はないと思う。
ベストセラーになった「13歳のハロワーク(村上龍:幻冬舎)」でも、作家についてはこんな記述がある。『13歳から「作家になりたいんですが」と相談を受けたら、「作家は人に残された最後の職業で、本当になろうと思えばいつでもなれるので、とりあえず今はほかのことに目を向けたほうがいいですよ」とアドバイスすべきだろう』。ライターもまったく同様である。
安定も、社会的な信用も、保証もない。名乗ろうと思えば誰でもなれるフリーライター。でも、自分の責任の取れる範囲内で好き勝手に生きる権利がある。読者やお客さん、編集者、営業に総スカンを食らっても良いと思えば何でも書けるし、締め切りだってすべて無視したって良い。ようはオーダー通りに書かなくて、締め切りも守らないけど、「こいつにまた書いて欲しい」と思われるかは自分の能力次第だ。仕事がなくなったら、能力がないだけである。それに結果として依頼がなくなっても、支出を減らすか、別のメディアに書く。もちろん、これは極論であって、現実の僕は依頼をもとに締め切り通りの仕事をしているのだけど、自分の気持ちとは違う記事を書くことまでして、各方面に媚を売る必要はないと思う。
いかに今を笑って過ごせるか、その考えで大丈夫だ。「言われた通りに書かないと、次のオファーが来ないかも…」って考えてストレスを募らせるのは最悪である。どうせフリーライターに“約束されたもの”なんてないんだから。元手がいらない商売で莫大な借金が重なることもないし、ダメだったら死ぬかなにかバイトで食いつなぐだけだ。まあ、ずっとそれで生きてこれたし、大好きな作家の川内有緒さんも「パリでメシを食う:幻冬舎文庫」の中で、「私たちは、未来のために今を犠牲にし過ぎている」というようなことを書いていた。明日死んで、後悔する今を過ごしたくはないでしょ?将来のためになんてことは考えず、この瞬間を必死に楽しんでいればいい。
どんな道でもつながっている
35歳の記憶を保ったまま過去に戻れるなら軌道修正するかもしれないけど、僕の人生は何度リセットしても、このコースしかなかったんじゃないかと思っている。結局、僕という人間は変わらなくて、その時々で考えて実行した、あるいは実行しなかった結果が現在につながっているからね。「あのとき、こうしておけば」と振り返ることは多々あっても、「ま、しょうがない」というレベルで、今のところ後悔はないかな。苦しいこと、悲しいこと、腹が立つことがあっても、なんとかライターとして生きていけているし、毎日笑えている。僕を必要としてくれる奇特な人もありがたいことに少なからずいる。それで十分じゃないかな。
ヘビースモーカーで不規則な睡眠・食生活は、28歳のとき(もっと前から)と変わっていない。だから、人生の折り返し地点は過ぎていると思っている。ここまで浅はかな考え方で、好きなように流れるままに生きてきた。劇的な変化に0.1%くらいの期待はあっても、主体的に動くつもりは特にないから、それも流れ次第なのだろう。
今も不確かな未来の中にいる僕が送れるのは、「きっとなんとかなるという想いは間違いじゃない。無理に自分の好きなこと、正しいと思うことを曲げずにいても、少なくとも7年後までは大丈夫だ」という言葉だけだ。どんな道でも、歩いていけばそれなりに進んでいく……はずである。
【筆者プロフィール】
石原遼一
小学校と同じくらい通った早稲田大学在学中からライターの仕事を始め、卒業後、出版・広告業界で会社員とフリーランスを行き来する生活に。気づいたらHR・求人広告を軸にスポーツ、遊技を含めて雑多なコンテンツをつくる人間になっていた。最近は、クライアントに採用コンサルティングから広告運用まで丸ごと頼まれることも。○○広告大賞に応募するのはめんどくさいから一切しないけど、一緒に仕事をした営業は、広告効果や採用率で表彰されていると報告だけ多々受ける。累計で2000社以上の取材をし、7000本以上の制作を行ってきた。夢は山奥でバーニーズ・マウンテンドッグと大型熱帯魚に囲まれ、仙人のような暮らしを送ること。現実は地方都市での引きこもり、ときどき上京の生活である。
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