【拝啓、25歳の自分へ】新卒でトップセールスだった僕は、31歳でライターになりました。
全てが味方だと思っていた、あの頃
大学時代、経済学を専攻していたこともあり、新卒で先物取引の企業へ入社した。社会人となった今でこそ、業界へのイメージが世間一般のそれと等しくなったが、当時は、常に世界のニュースに目を向け、大きな金額を動かす姿に憧れを持った。
やる気を見せていたこともあり、配属早々にある新規問い合わせのお客様への営業を任せてもらった。そのお客様のことは今でも顔も名前もはっきり覚えている。漁師をやっており、蓄えもかなりあった。それらを全て貯金に回すのではなく、別の形で資産を残したいとのことだった。つまり投機としてではなく、資産運用の投資として先物取引を希望していた。
元々ニーズがあったこともあり、話はトントン拍子に進み、無事契約となる。しかし、そこからが誰も予想していなかった。景気や世界情勢なども相まって、そのお客様の保有資産がどんどん値上がりしていった。それをきっかけにそのお客様は、親戚や漁師仲間、町内会や友人など、いろいろな人に私を紹介してくれた。
それらが全て自分の成績となったことで、同期入社30名の中でも常に成績は1位。先輩や上司の成績を上回ることも珍しくはなかった。成績が良いと社内での評価も上がり、大きい案件を任せてもらえるようになり、好循環が続いた。ここまでの話を聞けば、ただの順調な営業マンのサクセスストーリーだろう。
「自分は売れる」と思い転職した先で、挫折を経験
先物取引は売買時の手数料を主な利益としているので、顧客が多ければ多いほど、定期的に売買する手数料が多く、今で言うサブスクリプションのように安定して毎月高い成績を上げ続けることができていた。気が付けば入社から3年間が経過していた。
好調な成績の裏で、かなり過酷な労働環境があった。朝9時には市場が動き出すため、顧客への連絡はそれ以前に済ませておかなければならない。さらに、顧客への連絡より前に相場材料を確認し、海外の値動きなどもチェックしないといけないため、毎朝7時には各班で新聞の読み合わせが始まっていた。夜は夜で、顧客の対応や翌日の営業準備などで、終業作業を始めるのが23時を過ぎてから。土日にしか家にいない人もいるだろうからと、電話営業や飛び込み訪問のために土日も頻繁に出社させられていた。
学生時代からスポーツをしていたこともあり、体力には自信があった。しかし、新入社員だった自分たちだけではなく、50歳近い支店長を含め他の社員たちも同様の労働環境にあった。将来は家庭を持ちたいとの夢もあり、この仕事を一生続けることは難しいと判断。転職活動を始めた。
さっそく各転職サイトに登録するため、履歴書と職務経歴書を作成にとりかかった。自分にどんな仕事が合っているか、どんな仕事がやりたいか考えながら色々な求人を見ていくが、営業成績だけは誇れるものがあったため、多くの企業から営業職でのスカウトメールが届く。気になる求人を見つければ、実際に面接に行き話をしてみるが、そこでも同様に営業成績が評価される。嬉しいことではあるが、知らず知らずのうちに自分でも『営業に向いている』『営業をやるべきだ』と思うようになっていた。
思い返せば、新卒時代に成績を上げていたことについて、自分で頑張った部分もあるが、運に味方してもらった部分がかなりの割合である。当時は理解しているつもりだったが、いざ数字として表し、それを周りから評価されてしまうと、知らないうちに『自分は営業ができる人間だ』と思い込んでしまう。
案の定、数年後に営業として転職した職場で大きな挫折を経験し、とても辛く苦しい思いをすることとなるが、この時の私にはとても想像がついていない。挫折が悪いものだとは思っていない。むしろ成長するために良いことだと考えている。ただそれも、やらされていることではなく、自分が本当にやりたいことであってこそだとも考える。
この時の私に伝えたい。今転職で悩んでいる人たちにも参考にしてほしい。今までやってきたことや、周りの評価などは一旦忘れて、本当に自分がやりたいこと、やりたかったことに真摯に向き合い、恐れずに挑戦してほしい。
ガッツはレッドオーシャン
学生時代、特に就職や先のことを考えたわけではなく、数学が好きだったという理由で経済学部へと進んだ。そのまま段々と数字を扱うのが好きになり、ゼミでは企業分析を研究し、有価証券報告書などをもとに、様々な企業の経営状況や成長性について分析していた。今思うと、こちらの方が進む方向としては合っていたのかも知れない。
当時の私は、特に勉強ができたわけでもなく、唯一誇れるのは友人が多いことだけだった。学校やサークル、クラブチームやバイト先など、とにかくたくさんの友人に囲まれとても楽しかった。就職活動をする際に、人と話すことが好きだからという理由で営業職を希望した。
なんて安直な考えだと今更ながら思う。学生時代に周りにいたのは、みんな友達だ。友達と話すことは楽しいに決まってる。社会に出て仕事として考えれば、それは全く違う話だ。筑波大学の准教授で芸術家の落合陽一氏が、予備校講師の林修氏との対談で「ガッツはレッドオーシャン」と言ったことがある。たしかに今思えば、就職活動などで「ガッツはあります!」と言うことは、なんのプラス材料にもならない。そんな人は大勢いて、気合いがあることは大前提だからだ。そのうえ、で自分は何が得意で、何がしたいのか。明確にプレゼンできなければ、面接官の心を動かすことは難しいだろう。
同様に「人と話すことが好き」ということも、レッドオーシャンだと私は考えている。特に学生時代に関しては、周りは友人や知っている人ばかりで、そういった環境の中で人と話すことが好きだという人は、山のようにいることだろう。
私の場合は、人と話すことが好きだから営業職にしようと、安直な考えで行動してしまったことを反省しているが、本当に営業職を目指したくてこの言葉を使っている人がいるのであれば、そこはレッドオーシャンだということを念頭に置いておいた方がよいだろう。
失敗が許される20代こそ、本当にやりたいことに挑戦してほしい
新しいことにチャレンジするのに、遅すぎるということはない。という話をよく耳にする。たしかにいくら歳をとっても、何か新しいことに挑戦する人を素晴らしいと思う。
しかし仕事として、40歳、50歳から今まで全く未経験の職種で、一から育ててくれる企業がどれほどあるだろうか。ましてや家庭を持っていた場合、養えるほどの給与をそこに出してもらえるのだろうか。現実的なことを考えると、やはりかなり厳しいと言わざるを得ない。
もし高齢になってから自分の仕事に嫌気がさし、新たな道を見つけようとしても、経験を重ねてきた職種の中から、別の会社を見つける以外の道は、かなり険しいものになるだろう。今の時代、フリーランスや独立など、雇用される以外の道も簡単に見つけることができるようになったと思う。しかし、その道も今まで培ってきたものを活かしてこそ歩める道で、全くの未経験から挑戦することは雇用されることよりも難しい道となるだろう。
悪いことばかりを言いたいわけではない。むしろその反対だ。25歳の自分に伝えたい。今これを読んでいる20代の人にも伝えたい。新しいこと、やりたいことにはどんどん挑戦するべきだ。今まで自分がやってきたことに縛られる必要は全くない。周りの評価も関係ない。自分が本当にやりたいと思うことに正直に向き合い、恐れずに挑戦してほしい。もしチャレンジしてみて自分には合わないと思ったら、また別のやりたいことを探せばいい。それが許される年齢で、受け入れてくれる場所はたくさんある。
手を止めて、足を止めて、もう一度考える時間を作ってほしい
今の私は、幸いにも良い人と出合い、ライターの仕事や経理など、様々な新しいことにチャレンジさせてもらっている。改めて思うのが、やはり何年やっていても、たとえ成果が出ていても、自分に合っていない仕事というものはある。自分が本当にやりたいと思ってやっていた仕事でないなら尚更だ。頭ではわかっていても、自分に言い聞かせている場合、自分でも気づいていない場合、色々なパターンがあるとは思う。
この機会に、ぜひ一度立ち止まって考えてみてほしい。本当に自分のやりたい仕事が何なのか。今やりたいことをやっているという人も、少しでも時間を作って考えてみてほしい。やってきたことや、周りの評価を一度置いて、昔やりたかったことなど思い返してみてほしい。その結果、今の仕事を誇りを持って続けることができたり、新しいことにチャレンジするきっかけになれば嬉しく思う。
<筆者プロフィール>
寺島弘光(てらしま ひろみつ)
商品先物取引のトップセールスとして3年間勤務後、通信業界や求人業界の営業を経て、30歳を超えて大きな挫折を経験。現在求人広告をはじめとしたライターとして、新たな道を歩み始める。大阪人ながらに年間パスポートを保有していたほどのディズニー好き。趣味はバスケットボールで、自分でクラブチームを作るほど。推しは大阪エヴェッサ。千葉への移住計画を胸に、一児の父親として育児・ライティングともに一から勉強中。
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