• 求人
  • 2023.05.19

「ポジティブサロン」でみんなを幸せに。美容で三方良し目指す、ある経営者のビジョン | 株式会社Blend

コロナ禍の煽りをもっとも受けた業種、美容と飲食。長引くコロナ不況により、大きな打撃を受け閉店が相次いだ。その2業種でビジネスを行ってきた桜井翔馬氏も、コロナ禍によって収益が半減。危機的な状況に追い込まれた。しかし、現在は飲食を閉めて美容に集中することで危機を乗り越えつつある。身だしなみの観点からも、美容の需要は飲食に比してゼロになることはない、と踏んだ。

現在は茨城県を中心に、北関東各地に店舗を展開。美容サロン、まつげサロン、脱毛、エステなどの女性向けの美容事業をメインとしつつ、フォトスタジオや美容商材の製造販売まで幅広く手がけ業績を復活させている。同社がV字回復に向かう背景には一体何があるのか。桜井氏に、コロナ禍からの復活の軌跡を語ってもらった。

【プロフィール】
桜井雄馬(さくらい ゆうま)
茨城出身。高校生の時、イベント企画を始め、卒業後はフリーでクラブイベントのプランナーとして活躍。2013年、21歳で株式会社BLENDを設立。アパレルからスタートし、タピオカ専門店で飲食業にも参入。さらに現在のメインビジネスとなる美容サロンをVTG eyelash 土浦店をオープン。以来北関東を中心に、北海道から沖縄まで全国展開。さらには、ベトナムに海外進出を果たす。現在は、飲食を縮小し、美容サロンやフォトスタジオを経営しながら、美容商材製造販売も行う。

フリーのイベント企画から21歳でアパレル社長へ


やり手経営者として多角的に事業を展開する桜井氏。ビジネスマンとしての才能に目覚めたのは、20歳の頃だった。彼は高校時代から人を集めて地元でイベントを開催するリーダーだった。組織のまとめ役には、子供のころから率先して手を挙げるタイプ。クラブイベントを企画するうちに、メンバーを募りパーティ開催を仕掛けるようになる。高校を卒業してからも就職せず、クラブ関連の企画プランナーとして活躍した。
 
「20歳ぐらいまでフリーでイベント企画をやっていました。会場を探してDJを派遣したり、ケータリングを手配したり。そのうち、アパレルに目をつけたんです。まだ、ネットで洋服を買える時代ではなかったので、クラブファッションを入手するのが難しかった。イベントつながりの仲間経由で商品を仕入れてショップを始めました。それが当たって商売として軌道にのってきたところで法人化を決意しました」
 
2013年、桜井氏は21歳で銀行から融資を受け株式会社BLENDを創業。社名は高校の時に作ったイベントサークルの名前に由来する。「混ぜ合わせる、融合する」という意味から、いろいろなタイプの人が垣根なく集まることができるようにとの思いがあった。
 
法人化以前はイベント企画を中心に個人事業主としてアパレル業や飲食業、美容事業などを手がけ、1業態ごとにサポートしてくれるスタッフをアルバイトとして雇っていた。スタッフの人数が増え始めたことを機に、社会保障等の福利厚生を充実させることを目的に会社を設立。
 
クラブイベントの関連事業として飲食店もスタート。第一号店として、タピオカ専門店をオープンした。クラブに来る女性客の会話からヒントを得て仕掛けたのは、まだ大ブームが起こる前。ほどなくしてタピオカが爆発的な流行となり大成功。飲食業を広げていく。
 
「クラブ時代の人脈で、さまざまにビジネスを広げていきました。”自分が食べたいけど近くに店がない”食材を使った料理専門店に特化してみたんです。まず牡蠣ですね。宮城に行って生産者を回ったら、自分と同じ感性を持っている業者と知り合い、クオリティの良い牡蠣を回してもらえることになりました。『カキ小屋 漁遊丸』を2店舗オープンし、拡大路線を狙いました」

「人ありき」で美容ビジネスを成功に導く


ほどなくして美容業界に参入した。きっかけはクラブイベントで女性と接する機会が多く、美容のニーズをひしひしと感じていたからだ。業界関係者の仲間も多く、当時流行り始めていたまつ毛エクステのサロンからスタートした。
 
以来、店舗ブランドや業態を増やしつつ事業を展開してきた。桜井氏がビジネスで大切にしているのは、「人ありき」のスタンス。店舗を構えてから人を募集するのではなく、的確な人材を見つけて店舗を任せる方針を当初から貫いている。出店予定地で求人を出し、店長候補が見つかった時点で物件を探して、新店舗をオープンする変則的な手法で事業を拡大していった。
 
「集客にも力を入れていました。人気モデルの起用でブランディングし、”このモデルさんみたいになれます”、とファンを増やしていきました。店舗は一番多いときで45店舗。北関東を中心に北海道から沖縄まで、さらにはベトナムに海外進出も果たしました」
 
マネジメントについては信用して任せ、何か問題が起これば社長である自分が責任をとる主義。お客様とのコミュニケーションは、各スタッフで独自のスタイルがあって然るべきだと考える。技術的な研修には力を入れているが、それ以外は任せた相手の持ち味を発揮してもらいたい。接客スタイルも店舗ごとの独自性を重視する。部下が育ってきたら、新たに店長として別の店舗を任せていく。
 
「売り上げが伸び悩む店舗もありますが、その場合も店長ではなく会社側に問題があると考え、店舗の外観を変えたり、ブランディングに注力したり、売り上げを伸ばしていく方法を模索することにしています。店長ありきでスタートすることが多いので、売り上げが悪いからといって店長を変えたり、閉店させたりすることはほとんどありません」

コロナ禍で店舗を縮小、美容商材で新たな活路を見出す


一方で、飲食店も拡大していく。ジンギスカンなど地元にない専門店に特化して新規オープンを続けた。ジンギスカンの第三次ブームの兆しが見えかけたころに仕掛けを試みた。
 
「ふざけた名前の店をつけてバズらせる作戦に出たんです。『いきなり俺のジンギスカン』など法律ギリギリを狙ったネーミング。ネットでバズると、ワッと流行る。マツコDXさんの番組に取材していただき、名前が知られたことが大きかったですね。しばらくは、受け狙いから始まり、ネットでバズらせてテレビ取材を受ける、という手法で集客する作戦をとっていました(笑)」
 
トータルで76店舗。順調に拡大し出店数100店舗超えを目指して爆進していた。そこに襲ったのが、コロナ禍だった。飲食と美容、ソーシャルディスタンスをとるのが一番難しい業種。「コロナで全店閉めるしかない、もうダメだ……」と思ったこともあったという。
 
「7億円ほどあった年商が半減。コロナ禍では店舗数にこだわった目標設定をせず、既存店舗も整理、縮小して、1店舗あたりの利益率を重視するスタイルに切り替えました。結果的に全部で15店舗ほど閉めましたが、その際に職を失う社員が1人も出ないように、可能な限り統合を行う形で再編しました」
 
そのタイミングで始めたのが、まつげエクステ等の美容関連の自社製品、プライベートブランドの製造販売。サロンの運営をしている自社がメーカーになることで、多くのシナジーを見いだすことができるからだ。サロンとしては安価で商材を仕入れることができ、メーカーとしては安定した卸先が期待できる。さらにフィードバックをサロンのユーザーから直接受けられるため、製品開発も容易になると見込んだ。今後は、自社商品の卸先100店舗を目標にしていきたいという。新たな活路を見出し、さらには、茨城に美容学校を作って人材を育てていく計画を実現させつつある。
 
「2027年4月開校を目指して、学校法人の申請を準備中です。美容業界は、若い社員が多い業界で、年齢を重ねていったときに今の仕事を続けられるのか、と不安を抱える社員も多い。続けたいと思っても60歳になってまつ毛エクステサロンの仕事をやっていけるのか、難しいのが事実です。そういう意味では、雇用する側として社員のセカンドキャリアを考えることが不可欠であることを痛感しています。長年務めてくれた社員にいろいろな選択肢を提供していきたい。脱毛サロンやフォトスタジオも始め、着物の着付けなども行っていますので、年齢を重ねてからもできる仕事を数多く用意しています。美容専門学校が実現すれば、社員のキャリアアッププランの選択肢をさらに増やすこともできるでしょう」
 
「ポジティブサロン」をポリシーに、「お客様に前向きな気持ちになって帰っていただく」ことを大切にする桜井氏。美容の枠を超えて、”お客様にとって心の拠り所”になるようなサロンを目指す、そう社員には伝えてきた。企業理念やビジョンを社員に共有する手段としてインスタをフルに活用。社内の方針や業務連絡を流すことで、ユーザーにも店舗の雰囲気を伝えることができる。インスタの発信から求人につながることも多いという。「ビジネスは人ありき」をモットーとする桜井氏は人材発掘に対して、どのような施策を考えているのだろうか。
 
「まずは人柄をみて、向上心があれば採用します。技術的なことは入ってから勉強していけばいいですから。低賃金で長時間労働のイメージがある職業ですので、待遇改善には努めていますし、キャリアアップの制度をしっかりして独立支援もしています。バリューは、従業員、スタッフ、お客さまの悪口は絶対言わないこと。サロンは雰囲気が一番大切です。インスタで社内の経由で入ってきた社員はイメージ通りだったという意見が多く、入社後のギャップに戸惑うようなケースはありません。『茨城から世界へ』というメッセージも掲げており、現在はクローズしていますが、6年間ベトナムで美容室を営業していました。海外展開についても、今後の社会情勢や時期を見ながら取り組んでいきたいと思っています。ぜひ世界に向けて発信する仲間になってください」
 
取材・文:山下 美樹子

会社名 株式会社Blend
設立 2013年5月1日
事業内容 美容業・飲食業
資本金 300万円
所在地 〒300-0033 茨城県土浦市川口1−1−28 ライズIII
代表者名 代表取締役 桜井雄馬
BACK BACK