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  • 2021.04.06

「あのときを乗り越えたから今がある」~元Jリーガー取締役・田中翔太の現在地と見据える未来~ | 株式会社マノア・リノ

幼いころからの夢だったJリーガーの肩書を手にした後は、すぐに競争の日々が始まった。厳しいプロの世界では所属チームが変わる事もあり、そのたびに、どうやったら試合に出られるのか、アピールを繰り返すーー。6年後、セカンドキャリアを考えたとき、自分の“武器”の少なさを思い知る。28歳の頃だった。

数ある求人サイトに登録をした中、数社の営業や接客業、ガテン系の会社からオファーがあり、その中から求人広告の代理店の営業職を選ぶ。朝から終電まで、毎日300件のTELアポをすることになった。それでも、3年で数百人いる会社内で社内表彰を何度も獲得し、成績No.1を獲得するまでになった。キャリアを確立したうえで転職。しかし、惹かれていた風土、環境がある日突然、180度変わる経験をする。田中翔太にとって、“あの頃”は戻りたい時間ではない。

でも、「あの頃があったから今がある」と言い切れる。どんな過去を積み重ねて現在地に辿り着いたのか、これからどんな未来をつくりたいのか。想いを語ってもらった。

【プロフィール】
田中 翔太(取締役)
小学3年時にサッカーを始め、小学5年時に読売日本サッカークラブジュニア(現東京ヴェルディ)に入団後、鹿島アントラーズJY、鹿島アントラーズユースとJリーグの下部組織に所属をして、高校3年時には鹿島アントラーズのTOPチームに登録され高校生Jリーガーになる。その後、中央大学に進学しサッカー部に所属。卒業後、2006年にJ2のザスパ草津(当時)に入団。以降、6年間にわたりプロサッカー選手として数チームを渡り歩き28歳で引退後、都内の大手求人広告の代理店にてセカンドキャリアを踏み出す。3年間で年間新規獲得賞、優秀社員賞など、社内表彰を複数回獲得。IT系の人材サービス会社を経て、2016年10月に株式会社マノア・リノを立ち上げに参加した。

ようやく転職した会社で直面した、厳しい現実

大学を卒業してから、Jリーグのチームへ加入し、6年間プロのサッカー選手をしていました。セカンドキャリアはサッカーとは違うことをしてみたいと思っていました。大学は卒業しましたが、ザスパ草津への入団が決まっていて、就活はしていなかったので、なにかアテやつながりがあったわけではありませんでした。誰もが知っているような転職サイトで検索して、就職先を探し、求人広告の代理店に入社させてもらうことになりました。

 
ただ、正直に言って、そこはかなり厳しい環境でしたね(笑)本来の勤務時間は10時~19時のはずなのに、朝は8時くらいに出社して、帰宅するのは終電。結果が出ていなければ、土曜日も出勤に…。毎日300件の電話をし、そのうち1、2件取れたアポに訪問して、ようやくお客様と対面できたと思ったら、同業他社との競争を勝ち抜かないといけないという仕事でした。

 
その中でも、なんとか優秀社員賞や年間新規獲得賞を獲得できるようになり、自信もついたところで、自由度や個人の裁量の大きな風土に惹かれて、IT系の人材サービス会社へ転職しました。ITという世界へ初めて足を踏み入れ、今後のITの重要さや未来を感じ、マノア・リノを立ち上げることになりました。

“あのとき”を反面教師に

やっぱり、自分の経験は事業や会社運営に表れます。セカンドキャリア支援は特にストレートですよね。実際に自分が引退後の大変さを経験していて、同じ想いをしているアスリートもたくさん知っています。当事者だから理解できることがありますし、少しでも問題を解消して社会に貢献したいです。

 
それと、スポーツ選手が企業に勤めることで、活かせる能力があるとも信じています。彼らは1年契約で、チームメイトがみんなライバルという環境でプレーしてきました。試合に出るには監督にアピールしないといけない。的確にアピールするためには、同じポジションの選手と比べて、自分のなにが優れ、なにが劣っているのか理解したうえで、プレーする必要があります。つまり、自然とPDCAを自分の中で回すサイクルができていて、同時にチーム内での順応性や適応力も求められてきます。これは、会社員にとっても、必須の能力だと思うんです。

 
IT、SES事業について言えば、どうしてもクライアントや案件に引っ張られ、現場(エンジニア)が犠牲になるような場面を見てきました。だから、エンジニアファーストの会社にしたいとは思い続けています。エンジニアがいてくれるからこそ、会社が成り立っていることを忘れてはいけません。いかに良い環境、良い案件、良い待遇を提供できるかにこだわっていきたいですね。

 
会社全体については、社員一人ひとりの主体性を尊重する組織にしたいです。自由に裁量を与えて生き生きと活躍してもらいたいと考えています。今いる営業メンバーもSES営業未経験で入社してもらって、徐々に成長して来ており、今後がとても楽しみです。スポーツと同じように一人一人がお互いをリスペクトしていくと良いチームでになると思いますし、強い組織になって行くと思います。あとは感謝の気持ちを常に持って仕事をしいます。

創業期の辛さを一切感じなかった

スタートアップの創業者の話で、「○○があって苦労した」とか「ずっと寝ないで仕事をした」、みたいなエピソードってありがちだと思うんですね。でも、マノア・リノの立ち上げ当初って、謙遜とか見栄とかは一切なく、辛いと感じることはなにもありませんでした。

 
たとえば、今もそうですが、基本的にHPの問い合わせフォームといったところから、メールで新規開拓をするにしても、TELアポをしていた頃と比べると全く苦にならない(笑)第三者から見れば、契約数を伸ばさないといけないし、大変そうに見えたかもしれせんが、当事者はむしろ楽しく働いていましたね。それは、自分が立ち上げた会社だからというのもあるでしょうが、やっぱり新規開拓が好きなんです。これも初めて就職した会社で実感しました。新しい出会いによって、知らなかった価値観や情報を吸収できることは、すごく魅力的だと思っています。

 
もちろん、出会いをつくるためには工夫が必要になります。私が一番重要だと考えるのは、いつも相手の目線に立って、物事を進めること。電話なら相手がどういう状況で、なにを感じているのか。電話に出た人の性別や話し方を含め、その都度、想像して対応をしていく。それでも、9割9分は、結果は出ません。ただ、カンペ通りに話すだけではダメ。試行錯誤を積み重ねないと、残りの1分のチャンスもつかめないのだと考えています。

 
振り返ると、セカンドキャリアで最初に就職した会社はすぐにでも辞めたいほど過酷な環境でしたが、そこで3年間踏ん張ったから、今の自分がある。それは間違いありません。

「間違っていなかった」という実感を胸に、その先へ

「マノア・リノに関わる全ての人が、大きく輝けるように」という社名に由来する理念は、ずっと大切にして経営をしてきました。その結果、クライアントやエンジニアから感謝の言葉が届く。そのたびに「自分は間違っていなかった」と実感できます。それにほとんどのメンバーが、創業当時から辞めずにいてくれるのは、素直にうれしく思います。

 
もちろん、ここまで話してきた通り、やりたいこと、実現したいことは、まだまだたくさんあります。自社サービスを展開して、外で働くエンジニアの技術を社内に還元して欲しいですし、もっと多くのアスリートのセカンドキャリアを輝かせるようにしたい。自分の原点は忘れず、これからも新しいチャレンジを続けていきます。

 

文:石原遼一、取材:田尻亨太

会社名 株式会社マノア・リノ
所在地 〒110-0015 東京都台東区東上野1-15-4 キスワイヤ御徒町ビル9F
設立 2016年10月
代表者 代表取締役 武井 健朗
資本金 2000万円
事業内容 ・システムエンジニアリング事業
(常駐型システム開発/採用代行サービス)
・受託開発サービス事業
・プロスポーツ選手のセカンドキャリア支援事業
主要取引先 ・株式会社カヤック
・KLab株式会社
・株式会社ドリコム
・株式会社アカツキ
・株式会社マイネット
・株式会社オルトプラス
・サイバーエージェントグループ
・チームラボ株式会社
・株式会社オープンストリーム
・株式会社クラウドワークス
・株式会社アイフリークモバイル
・株式会社EPARK 他

労働者派遣事業許可番号:(派)13-312354
有料職業紹介事業許可番号:13-ユ-308693
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