• 求人
  • 2023.06.04

ノーコードで誰もがアイデアを形にできる世界を。「一家に1アプリ」 の未来を描く、熱き起業家の挑戦 | NoCode Japan株式会社

ソースコードの記述をせずにアプリケーションやWebサービスの開発を可能にするノーコード。 「見積もりだけでも数百万、数千万、開発期間は数か月〜長ければ1年近く」が一般的な現状を 打開し、開発期間を数週間に抑え、エンジニアのコストを削減することを可能にする。さらに、開発状況が目に見える形で共有できるので、設計や実装内容のすり合わせなどを早い段階でクラ イアントと共有でき柔軟でスピーディな対応が可能である。

そんな多様なメリットを持つソフトウェア開発を実現したNoCode Japan代表取締役の中川賢史朗氏は、プログラミングの知識がなくても、低コストでスピーディーにアプリケーション開発が行えるノーコード開発プラットフォーム「Click」を駆使してアプリの未来をドラスティックに変えていこうとしている。

父親の仕事の関係でベトナムで育った中川氏。高校の同級生たちがスモールビジネスを体験している様子に感化されビジネスマインドが芽生えたそうだ。ナイトマーケットのTシャツ販売からスタートし、以後さまざまなビジネスを興しながら、エンジニアのバックグラウンドゼロでアプリビジネ スに辿りついた。若くして多彩なビジネスを成功させてきた中川氏に、紆余曲折の道のりを聞いた。

【プロフィール】
中川賢史朗(なかがわ・けんしろう)
NoCode Japan株式会社代表。1993年生まれ。2008年、父の仕事のためベトナム・ホーチミンに移住。2013年、ラオスでDICLOSE Co.,Ltd.設立。ロイヤルメルボルンインスティチュートテクノロジー大学経済金融学部卒業。17歳からこれまで7社を起業経営。2020年に日本で初めてノーコードアプリを売却し、NoCode Japan設立。

ベトナムの高校時代、同級生に触発され起業を志す


証券会社から一念発起してベトナムでビジネスを興した父親とともにホーチミンに移住した中川氏は、幼い時から「自分も起業家になろう」という思いが強かったそうだ。地元の高校に通うようになると、スモールビジネスで稼ぐ同級生のバイタリティに触発された。
 
「ベトナムは毎年約8%の経済成長をしている国なのですが、その勢いは若い人たちにもあって、SNSを使用して100万円ほど稼いでいる同級生がたくさんいたんです。学生が最小単位のビジネスを体験しているのが普通なんですね。クラスの女子はコスメや手作りのもの、男子は中古のゲームやバイクなどを売って報酬を得ている。自分もやってみたくなりますよね。まず、500ドルを元手にTシャツ屋をナイトマーケットで始めました。隣国のタイでTシャツを仕入れ、地元の観光地の写真を貼りつけてナイトマーケットに出す、そのシンプルなアイディアだけでけっこう売れたんです」
 
高校時代に商取引、商品を仕入れて付加価値をつけて売る手法やPL(損益計算書)などの作成方法を学びながら、2つ目のビジネスとして、友人の興した中国バイクの販売会社にジョイン。”モノを売る”という基本的な商売からスタートして飲食や不動産などを手がけるようになる。バックグラウンドなしにITビジネスにたどりついたのは、たまたまアプリの会社を経営していた仲間とつながったからだ。
 
「この時はまだノーコード開発ではなく、エンジニアと組んで『海外に旅行する人でトランクに空きがある人』と『海外製品が欲しい人』をマッチさせるアプリ『HAKOBIYA』を運営していました。このアプリは貿易ビジネスや海外製品の取引の際に生じる課題を解決します。海外からの輸入品は輸送日に5〜7日程度必要となりますが、貿易となると審査で1週間以上かかるケースもあります。海外から来る人に荷物の運搬を依頼することで輸送日を大幅に削減できる仕組みを作りました」
 
そもそもは2014年に和牛が解禁され、ベトナムへの輸入業を全農と組んで展開していた時に発生したトラブルから閃いたビジネスだ。一頭何千万円の牛を飛行機便で輸送するが、書類に不備があると修正して原本を送らなければならず、早くてもやりとりに5日間はかかる。その間に牛肉の半分以上が腐敗、4000万円ほど損失を被ったことがあった。再度その状況に陥った時のピンチを救ったのは、たまたまベトナムから日本に渡航する人が見つかったからだ。必要な書類を託すことができて難を逃れた。

コロナでビジネスがストップ。次のビジネスチャンスを狙う


「ベトナムを往来していると、友人から日本であれこれ買ってきてとよく頼まれるんです。10%の報酬を払うから持ってきてくれ、と頼まれるようになり、運び屋アプリがビジネスとして成立するのでは、と閃きました。ただ、僕はITの技術を持っていないので、アプリを作れるパートナーを募りスタートしました」
 
コロナが旅行会社を襲ったのは、ようやく『HAKOBIYA』が軌道に乗りはじめた頃。完全にビジネスはシャットダウンされた。先の見えない中、かえって起業家魂に火がついた。新しいビジネスチャンスを狙っていた時に出会ったのが、ノーコードだった。
 
「『HAKOBIYA』を始める前はアナログな商売しか考えていなかったのですが、ITのシステムを使った初めてのサービスでITによるスケーラビリティに感動し、次に始めるビジネスもアプリを絡めたいと考えました。自分自身で作ることはできないのですが、XDというパワポのデザインバージョンサービスがあり、アプリケーションの開発では自分でコードを書いていたんです。その時にボタンをポチっとするだけでアプリになればいいな、と思ったのですが、アイデアはあっても自分で開発ができない。その時にノーコードを知りました」

アプリの開発、運用、拡大まで担うプロダクトへ

プログラムをしなくても誰でもアプリが作れる。読んで字のごとくノーコードである。これで実際にアプリが作れるのか? 当初は疑問視されていた。ユーザーとしてさまざま探っている中、こんなことができる、あんなこともできる、とその日の成果を日記のようにツイートで投稿していたところ、いつのまにか中川氏はインフルエンサーになっていた。
 
「たまたまそれを見た人材派遣会社の社長さんから連絡があり、コロナ禍に学生の面談をオンラインでやりたいのでマッチングプラットフォームを作ってほしい、と依頼されました。テックのバックグラウンドはなし。技術も知らないのにノーコードというプラットフォームで作ってみたらできたんです。1か月ぐらい経つとマッチングに成功し、依頼元の会社が買い取ってくれることになりました。この一件で、ノーコードがしっかりワークする証言者のような存在になったんですね」
 
エンジニアでもないのにノーコード開発でアプリを作成し売却に成功できる。将来、収益を生むだろうという仮定のもと、その会社に”フライング気味”で買ってもらえたことで、将来的なポテンシャルがあると、確信できた。そんな頃、使っていたプラットフォーム、アメリカ発のサービス『Adalo(アダロ)』の代表からインタビューしたいとの申し出を受けた。
 
「その時はユーザー側として、ノーコードがこれからどういう未来を描くのか、自分の意見を伝えたのですが、話をしていくうちに、ノーコード開発の可能性は無限に広がっていることに気づきました。そのインタビューが起業する際のスタート地点となり、NoCode Japanを設立、アプリ開発ツールClickが生まれました。アプリビジネスには、開発に時間、労力、資金が莫大にかかり、製品作りのフェーズに資金調達、仲間集めに翻弄されがちです。プログラミングスキルの有無に関係なくアプリ開発が可能なClickなら通常約10か月ほどかかるアプリのリリースを4か月でリリースできる。アプリ開発に時間をかけられないユーザーや起業家にも、細かな操作は必要とせずに アプリを作成してもらうことが可能です。さらにアプリ製品作りはあくまでも第一歩。プロダクトの作成、運用、拡大の3フェーズすべてを提供していけるようにシステム作りを進めています」

誰もが自分のアプリを持つ時代がくる


ノーコードなら10人100人のための小規模アプリが作れる。地域のクローズドコミュニティ向けや、1クラブに1アプリ、一家に1アプリも可能になる。スマートフォンというITインフラを一人一台持ち運ぶように、誰もが自分のアプリを持てる時代になる。
 
「5年後には、誰もが使えるようになると予想しています。現段階では、企業からの依頼を受けてから、2、3週間の短期間で納品していますが、まだまだ試行錯誤の最中。クライアントからお金をいただきながらフィードバックを受け、進化させている状況です。顧客を大切にしていけば、ファン化してどんどんリファラル(紹介)してくれるようになる。少数でもで特定のセグメントに『いい商品だ』とファンになってもらうことをまずは目指しています」
 
最近の成功例としては、1日7万件が同時アクセスできるアプリや、コール数の多いライブ配信アプリをノーコードで開発。「誰もがアイデアを形にできる社会の創出」を目指し、今後は世界を見据えて事業拡大を目指していきたい、と意欲を語る中川氏はどのような人材を求めているのだろうか。
 
「コアメンバーとして未来のノーコード開発市場に大きな影響を与えていただける方のご応募をお待ちしています。仕事は生活のためではなく、自己実現のための手段だと考えています。もし、将来やりたいことがあってNoCode Japanで仕事をする経験が近道になるのであれば、当社で1〜2年勉強して、独立したい、転職したい、ということもウェルカムですし、応援したいと思っています」
 
取材・文 山下美樹子

会社名 NoCode Japan株式会社
代表者 中川 賢史朗
事務所 東京都中央区日本橋茅場町2-4-5 茅場町2丁目ビル8階
設立 2020年7月6日
資本金 5億2239万2000円(資本準備金含む)
事業内容 ノーコード開発プラットフォーム「Click」の開発・提供 ・ソフトウェア受託開発 ・教育プログラムの開発
BACK BACK