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- 2021.05.12
どん底からの復活。瀕死の会社を立て直した、ある経営者の逆転劇 | Tokyo Creative株式会社
社員の半数が外国人で構成されており、訪日客の目線を重視したデジタルマーケティングに取り組んでいる。その基盤となるのは、絶大な影響力を持つ外国人インフルエンサーたち。1,700万人以上のファンを持つ彼らを抱え、外国人視点で刺さるプランニング、コンテンツ制作 を手がけている。今までのインバウンド集客実績は100社を超え、年間で100以上のプロジェクトを進行している。
しかし、ここに至るまでの道のりは決して平坦ではなかった。「あの頃はどん底だった」と代表の中川氏は語る。社員時代に経験した目を覆いたくなるほどの危機的な経営状況。自らの給料を切り詰めるなど、骨身を削る経営改善に努めてきた。なぜ彼は諦めずに事業を再生できたのか。そこには苦しさを楽しさに変えるポジティブマインドと、仲間への絶対的な“信頼”があった。
【プロフィール】
中川 智博
Tokyo Creative 株式会社 代表取締役。1987年4月生まれ。大手企業向けソフトウェアメーカーで営業職を経験した後、広告代理店に転職してデジタルマーケティングの知見を磨く。2018 年 5 ⽉ にTokyo Creative 株式会社へ⼊社 。これまで⾃治体、DMO、企業の海外デジタルマーケティングを100社以上支援している。観光・デジタルマーケティングに関連するそれに関する講演を外務省、三重大学、川村女子大学など数多くの場所で開催。観光庁「インバウンドの地方誘客促進のための専門家」として登録されている。2020年11月に代表取締役に就任。
社内で唯一の営業からスタート「これは絶対に売れる」
中川氏がTokyo Creativeに中途入社したのは2018年。それまで培った営業経験やデジタルマーケティングの知見を、インバウンド業界で活かしたいと考えての転職だった。
「今までの経験とインバウンドの掛け算ができると、キャリア的にも面白いと思っていました。そんな時、たまたま友人がTokyo Creativeで働いていたことを知り、セールスのチームがいないからということで声をかけてもらったんです」
コロナ前のインバウンドは市場規模が日々拡大。訪日客が右肩上がり増加していた。入社当時の目標について、中川氏はこう振り返る。
「それまでインバウンド集客の領域で圧倒的No.1の企業は当時思い当たりませんでした。なので、トップシェアを掴めたらすごく面白いんじゃないかなと思っていました。どうやって達成するのかは、今までの経験を踏まえて色々と仮説を立てていましたね。でも実際のアクションは、『やってみなきゃ分からない』と考える直感的なタイプなので、入社後に試行錯誤しながら取り組みました」
当時の社内で進めていた事業は二つ。
一つ目は「旅のワンストップ・ショップ」をテーマにしたWebサイト運営。宿泊予約、旅のルート設計、情報記事など豊富なコンテンツを展開し、マネタイズを図ろうとしていた。
二つ目は現在につながる「インフルエンサー事業」。中川氏はそれまでの経験と直感で、後者に可能性を見出す。
「当時のWebサイト運営は、デジタルをやっている人間からすると、正直儲からないだろうなと感じていました。でも、インフルエンサー事業は絶対に売れると思ったんですよ。市場も伸びてますし、それが唯一無二のサービスだということはすぐに理解できたので。ただ、商利をつくることはすぐにできることじゃないと思っていて。特にB2Bの場合はそうです。今までの信頼や実績が大切なので、それをつくっていくのが大変でしたね。何しろ社内で唯一の営業が私で、インフルエンサー事業の顧客は、ほぼゼロだったので」
自治体や企業へのセールスで苦戦を強いられる日々。そんな中、突如として好機が訪れる。中川氏の大学時代の友人が、関西にある広告代理店のインバウンド事業部で働いていたのだ。
「これはドンピシャだと思って、出張ですぐに友人のいる関西へ行ってサービス内容を説明しました。すると『欲しいサービスはこれなんだよ!』と喜んでもらえて。そこから自治体さんを紹介してもらえて、一緒に営業し、初めて実績をつくることができました」
その実績をもとに、友人の広告代理店からの顧客紹介などで順調に受注を増やしていく。ただしそこには、飛び込み営業に依存しない営業スタイルがあった。
「インバウンドプロモーションでは、問い合わせを受けてから営業開始するスタイルにしています。というのも新卒の時に死ぬほどテレアポで営業をした経験があり、すごく非効率だなと感じていました。デジタルマーケティング支援を始めた際に、問い合わせから営業するスタイルに出会ったことで、求めていたのはコレだ!と感じました。なので1年目は、しっかりと集客できる仕組みづくりに注力し、問い合わせをWeb経由でいただき、それを営業活動につなげるかたちで、少しずつ売上を積み重ねていきました」
初めて見た財務諸表は、目を覆いたくなる内容だった
入社から2年目、中川氏は突如として危機的な状況に見舞われる。当時の代表が辞任したことで、会社の赤字体質と危機的な経営状況が明るみになったのだ。
「突然のことだったので、本当に驚きましたね。でもその後すぐに、出資を受けていた企業の担当者から、経営改革のお話をいただきました。『一緒に会社を改革しませんか』と。会社を救おうとそれを快諾して、初めて会社の財務諸表を見たんですけど、目を覆いたくなるような真っ赤っかの数字で(笑)人間でいうと、首元を切られて血が噴き出ているみたいな。『キャッシュもすぐに尽きるぞ』というくらい危機的な状況でした」
瀕死の会社を立て直すべく、事業と人員の「選択」に注力せざるを得なかった。インフルエンサーの「プロモーション事業」は売上につながるので維持。一方のWebサイト運営事業は、成長が見込めず固定費を払えないため、解体を余儀なくされた。
「会社はこういう状況なので本当に申し訳ないが本気の人だけ残ってほしい、という話をしまして。人数的には20人から一気に7人まで縮小しました。その本気の7人で会社を立て直す際には、自分たちの給料も下げましたね。私は新卒と同じぐらいの給料まで下げたので、『何やってるんだろう』とふと思うこともありました。オフィスも好立地の場所に借りていたのでカット。よく肉をそぎ落とすまでコスト削減と言いますが、骨まで削るくらいのことをやりました」
残った7人は現在も会社を支えているコアメンバーだが、なぜ危機的な状況で中川氏と共に“残る”ことを決意したのか。
「なぜ残ったかは私も聞きたいです(笑)。でも面白いことをやっているという自覚はあったと思うんです。自分にはない能力やスキルを持っていて、超絶に優秀でポジティブなメンバーですし。それを知っていたので、クリエイティブな企画力や動画制作の能力など、それぞれの強みを掛け算した『プロモーション事業』なら絶対に勝てるという直感が働いたのです。不安や辛いことはたくさんありましたが、たくさんの方のお世話になりながら、このチームなら『失敗するわけない』と信じていました」
経営を立て直すべく、強みのプロモーション事業に一極集中。顧客に不安を与えないように配慮しながら、淡々と実績を積み上げていった。耐え凌ぐ日々を支えていたのは、中川氏の内面にある超絶なポジティブマインドだった。
「会社を立て直すことは誰でも経験できることじゃないし、自分の成長にとっては必要なことだと思いました。コロナ禍で経営危機に瀕している企業が増えていることもあり、会社を立て直すという経験は今後色々な場面でも活かせると考えたのです。事業再生が今後増えると考えた時に、これは運命だなと(笑)」
経営再生で代表取締役に。「第2の成長痛」が始まる
プロモーション事業に集中して取り組んだことで、3年目には売上が急成長。経営は黒字化を達成。その後のコロナ禍で大打撃を受けるも、柔軟に方向転換して順調に売上を伸ばしている。
「数千万円規模の案件が無くなるなどコロナ禍でのダメージは大きかったですが、そこからすぐに観光庁や各自治体に向けて舵をきりました。自治体の予算は、企業とは違って3カ年で設定されているので、いきなり予算がなくなるということはないと想定していました。各自治体に寄せて営業活動をした結果、確実に実績を出すことが出来ました」
コロナ禍で競合他社が撤退したことにより、さらに仕事が取りやすい状況に。Tokyo Creativeには様々な自治体、企業からの問い合わせが相次いでいる。メンバーが一丸となって取り組んだ結果であり、どん底からの見事な立て直しといえるだろう。中川氏の働きぶりについても高く評価され、2020年11月より代表取締役に就任している。
「代表になった変化を聞かれると一切ないですね。ただ、方針を詳しく伝えることは意識しています。今までの経営で問題だったのは、必要な情報を開示してこなかったことだと思うんです。なので今はメンバーへあらゆる情報を開示しています。あとは経営の透明性で、売上の数字や借入状況はクォーター(四半期)ごとに話してます。他にも会社の状況や、プロジェクトごとのクライアントの傾向なども。メンバーのみんなの活躍のおかげで、たくさんの案件をいただいており、今は『第2の成長痛が始まったな』という感じです(笑)。すごくポジティブな辛さですね」
ミッション達成の方法は自由。メンバーの創意工夫に委ねる
Tokyo Creativeでは、働きやすい職場にするために最低限のルールしか決めていない。それは「その行動が会社の利益になるのか」、そして「その先の社会のためにつながっているのか」。そのことが説明できれば、自由にアクションを起こすことができる。働き方はフルリモートで、地方に移住することも可能だ。
「案件を地方で作って、そこに住むことも問題ありません。それに経費精算についても、自分の裁量で会社のカードを切っていいことになっています。とにかく無駄なワークフローを一切省きたいんですよね。その行動が会社のためになっているのかどうか、それさえ守ってくれれば何をやってもいいよ、という会社です」
一方で、指示を待っているだけの人は社風に戸惑うとのこと。ゴールは伝えるがその達成方法を詳細に教えることを、あえてしないからだ。
「あなたの役割と責務はこれです、達成して欲しいことはこれですとミッションは与えますが、やり方を一から百まで教えてしまうと、メンバーの成長が止まってしまいます。それぞれ強みや特性は違いますし、仕事への取り組み方は千差万別で良いと思うんです。それに、上司が部下よりも優秀という関係性は、面白くないですよね。創意工夫で考えてやってくれないと、一生その上司を追い抜くことはできないじゃないですか。なので、達成してほしいゴールは伝えるんですけど、やり方は問わないというか教えません(笑)」
ゴールから逆算して考える企業ミッション「Goal Driven」を各メンバーが体現。各プロジェクトの効果を最大化することに務めている。
「みんな自由に好き勝手なことばっかりするんですけど、ちゃんと先回りしてゴールから逆算して、今やるべきアクションを起こしています。こんなにフラットで多様な価値観に触れられる会社は他にないんじゃないかなと思いますね。ダイバーシティの話でいうと、働いているメンバーの半数は外国人ですし、社員のほとんどが女性なんですね。それも社内のフラットさを表しているのではないかと思います」
言語を超えたメンバー同士の絆。仲間の市場価値を高めたい
現在の働き方はフルリモートだが、言語を超えた仲の良さが魅力とのこと。温かい社内の雰囲気についても語ってくれた。
「フルリモートなので顔を合わせる頻度は少ないですが、Slackでの会話がとにかく多いのが特長で、雑談もたくさんします。また業務で少しでも困っている人がいたら『手伝うよ』みたいなメッセージが積極的に入ります。リモートでもお互いのことがすごく思いやることができるので、成り立っているんだと思いますし、言語を超えてできているなと感じています」
最後に中川氏は、一緒に働くメンバーへの想いを話してくれた。
「とにかく一緒に働く仲間の市場価値を高めたいんです。『リクルート』のように、面白い会社を立ち上げるために独立するとか、面白い人がどんどん出てきてくれると面白いなと感じています。私の代わりをやるような人がボコボコ出てきて、さらに巣立っていって、ワクワクすることを仕掛けていく。そんな社会がつくれたら良いなと思います」
今後も中川氏は「知られざる日本を世界に向けて発信する」というビジョンを実現するべく、様々な地域やサービスの魅力を世界へ発信していくだろう。今後は自治体や企業と一緒に、新たなサービスをつくることにも積極的に取り組んでいくそうだ。「毎日が語れないくらい楽しい」と話す中川氏の想いに共感した方は、ぜひインバウンドプロモーションを共に盛り上げてほしい。
取材・文:平原 健士、編集・撮影:田尻 亨太
会社名 | Tokyo Creative株式会社(レッドホースコーポレーショングループ) |
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本社所在地 | 東京都江東区豊洲3-2-24 豊洲フォレシア9F レッドホースコーポレーション株式会社内 |
役員 | 代表取締役 :中川 智博、小野沢 隆 取締役:竹中 恒一、橋本 博生 監査役:松田 康之 |
事業内容 | 海外デジタルマーケティング事業 海外向けインフルエンサー事業 インバウンド向け戦略策定・サービス開発事業 |
資本金 | 9,000万円 |
設立年月 | 2013年8月 |